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昨年71歳で亡くなった義父の一周忌の法要をすませた。
いつでも義父母の友人や親戚が自由に出入りし賑やかだった家、
「かあさん、かあさん」
って、いつも義母を呼んでいたな。
朝一からの法要に備えて前日から泊まりで行った。
布団を敷こうと仏間に入ると、部屋の隅の義母の文机の上にいつものように積まれた書が目に入った。義母は看護師の仕事の傍らこつこつと師匠のもとに通い、書の師範の看板を持つまでとなった。家のあちらこちらには義母のこころのことばが書となって飾られている。
積まれた和紙の一番上にひっそりと置かれた新作は小さな字がびっしりと書かれていた。
なんだか薄暗い部屋の中で、その書だけがぼうっと白く光を放っているような気がして吸い寄せられてしまった。よく見ると、
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時‥‥と『般若心経』が一文字一文字丁寧に書かれていた。
喧嘩したり大笑いしたりプーしたり、いつも賑やかだった義父母の姿を思い出した。今でも人前では変わらず元気で気の強い義母だけど、
「かあさんのご飯はおいしいね。ごちそうさまでした。」と言っていた義父の居ない家の中で、義母はひとりでどんなことを思ってこれを書いたのだろうと思うと、私の知らない義母の素の姿を見たような気がした。
22世紀の般若心経
苦しみも、悲しみも、すべては幻
だから、きみは、きみのままでいいんだよ。
そのままでも充分に幸せになれるから。
易しく意訳された
森沢明夫・文 古財秀明・写真
の般若心経の本
半年くらい前にふと手に取って立ち読みし、そのまま買って来てしまいました。
ペラペラ人間を切り続けていたときに合間の休憩で読んだ本のうちの一冊です。
義母宅のリビングのテーブルには、
にわぜんきゅうというかたの絵本“般若心経”
がひっそりと置かれていました。
法要は近所のお寺で行い、家族親戚に加えいつも通り義父母の友人たちも集まった。
義祖父母のお葬式も法事もこのお寺で行った。コントのような、葬式や火葬場でのお決まりの吹き出し笑いはまず義父からだったな。その義父も向こう側の人となってしまった。
実際に使われていた和尚さんの駕篭
これはもしやかつて使われていた土葬の際の“棺桶”!?
と、夫の従兄弟たちと覗き込んでいたら…
和尚さんの話によると、
昔は檀家さんがお金の代わりにお米を納めていたらしく、
そのお米を保管するために使われていた樽なのだそうです。
へぇ〜
千両?・シュロ?など4種類の植物が寄生していてびっくり!
鳥の仕業?
宿木ではなさそう
ほら、ここ見て!
こんなときにはいつも決って義父が、得意げに説明してくれたものだったな。
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夏休み最後の日久々に中学生の次女とお散歩乃木坂駅を出ると国立新美術館美術館のポスターが目にとまる。娘がアンリ・ルソーの絵に興味を示したので、『チューリヒ美術館展』をめがけてチケット売り場に行くも、よく見てみたら開幕は“来月”となっていてガックリ。そこでふと思いつき、そうだ、ガウディ展に行こう!となった。途中、青山ブックセンターでプラプラ立ち読みし六本木ヒルズ52階森アーツギャラリー到着。チケットを買って30分待ちと聞きびっくり。『アンディー・ウォーホル展』のときにはすんなり入れたというのに…どうも、ガウディだけじゃなくて人気者の漫画家のかたとのコラボだったようだ。遊園地のように30分以上並びやっと入場。娘は、ガウディのあの生き物のような建造物が実際に建てられる前に正確で緻密なデッサンやスケッチが描かれているということに衝撃を受けたようで学芸員さんにマークされながらもかぶりつきで観ていた。中でも図面を気に入ったようだ。「かいてみたい」そうだ。2026年のサグラダファミリア完成時に娘と見に行けたらいいな〜。
路地裏の匂いがすき
どこの街からもみえる空がすき
“よみきかせ”をしていた頃6年生のクラスで読んだ絵本
レイチェル・ ロドリゲス文ジュリー・パシュキス絵青山 南訳光村教育図書
を、思い出した。
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